危成振り返り
宿曜で会う人を「今の自分のフェーズ」として見る
宿曜で会う人を「相性」で見ることはよくありますが、ちょっと「フェーズ」として見てみようかなと思います。
今、遠距離の栄親と胎以外はみんな初対面の方は「危成」です。
このことは、依存からの脱却のフェーズなのかなと思っています。
分かりやすい「房宿」
私は分かりやすく房です。
なので、肩書きに弱いというのはもう業なんだなと思って諦めています。
- 肩書きに弱いということを知る
- だから肩書きと知識がある人に思いをいれやすいけど、相手はそうではないのだから自分をなだめる必要がある
- 肩書きじゃないひとでも相性がいいこともあり、肩書きに恋しやすくても差し引いて考える必要がある
- 危成なら理解しあえないのだから不必要に苦しまない
- 黙っていても偉そうにみえてしまう、賢くみえてしまうことをしる(小賢しくみえる
- 男性にとっては20代前半が魅力的ということを知る
- もちろん自分が一緒にいたいと思う人は自分の年齢を良いと思う場合もあるだろうと思う。何人もと付き合う必要はない
とはいえ射手座
房なのに比較的明るくハキハキ向こう見ずなのは、太陽の射手座部分が出てるのかなと思います。
畢宿2名
危成ふたり。驚くほど違う印象がありました。
Aさんは太陽獅子座とどこかに射手座がはいってるかもしれない。新しいものをためらわずに取り入れる人でした。長いメールしてしまったり小説を読みあったり…マジで畢宿だったのか?ただ、危成だとは思って、自分がいつかあまりの価値観の違いにきずつくだろうと予感しました。
Bさんは歴史、政治・経済などの知識があり畢のがまんづよさで地位を確立し、カネコネの世界から遠ざかったうまい畢だと思いました。房なのでひかれることはないようにみえるのですが、ここはやはり房の肩書きや自分にないものに強くひかれる感じがハッキリと出て、離れるのがかなり辛かったです。
ちなみに、宿曜で相手を決めることはほぼなく、むしろ振り返り用として終了してから調べたりしています。
調べてから会うのは結局自分のフェーズを知ることができずよくないかなというのが持論です。